Detroit Become Human というゲームがある。
簡単にあらすじを説明すると
「2030年代、”アンドロイド”生産業が活発化したアメリカ・デトロイト地方が舞台。
立場や役目も違う、3名のアンドロイドを操作して物語を進めていく」
というものだ。
いわゆるAI技術が発展した、近未来を描いた傑作ゲームで
「操作できる映画」と評されている。とても面白いので、ぜひやってもらいたい。
さて、なぜこのゲームを話題に出したかというと、
PixivのAIに対するスタンスが話題になっていたからだ。
これに限らず (特にイラストAIの登場以降) 、AIに対する批判意見というものが
とても強まっている印象を受ける。
(私の観測範囲では、ChatGPTなどのチャットAIに対する批判意見はあまり見かけない。
近年のイラストレーターがインフルエンサー化している傾向と関係がありそうだ。)
私は、映画アイアンマンの執事AI”ジャービス”に、
物凄くロマンを感じていた人間なので、なんというか、第一印象では悲しみを覚えている。
少し考えてみたけども、やはり現状のAIは”ツール”にすぎず、
その功罪は使い手に著しく依存していると思う。
いわゆる包丁だ。たとえ悪質な人間が人殺しの道具にそれを使ったとしても、
だからといって包丁を一律で禁止するわけにはいかない。
まぁ、いろいろ言いたいことはある。
すでに生まれ、公開された技術というものは不可逆だから
下手に制限したり禁止するのは、臭い物に蓋をするのと同じだ、とか。
自分で考え、メリットデメリットを顧みた上での行動ならともかく
AI憎しで何も考えずに行動しているのは滑稽だよ、とか。
ただ、イラストレーター側の意見も理解はできる。
私もプログラマの端くれとして、AIに対して「仕事を奪われる」類の恐怖を感じた。
ChatGPTやGithub copilotは、実際に触ったとき、背筋が冷えた。
しかし現状、AIはツールであり、責任を持てない。
そこだけは、しばらくの間、人間にしかできない部分だと思う。
昨日の日記でも触れたとおり、今のインターネットは完璧を求めている傾向にある。
Pixivの一件は、過去の評判によって現在の印象が悪くなった弊害にも思えてしまう。
失敗を許容できないと、転生して評価をリセットしまくるしかないのではないか?
そんなディストピアが待っている気がして、AI以上に背筋が冷えた。
・・・と思ったけど、DetroitBecomeHumanでは、
選択によって、主人公がポンコツと化すことが有名になっていたのを思い出した。
最近でも、本を読まない”みくのしん”さんというライターの方が
芥川龍之介を読む記事がバズっていたほどだ。
今後「無知や世間知らず」がコンテンツのブームとなるかもしれない。
そう思うと、こういう動乱すら、AIにかこつけて、
炎上というコンテンツを、楽しんでいるだけに思えてきた。
人の感情を見て、その様を哀れみ、あるいは憤り、
その反応がさらにコンテンツと化す。
私も日記としてネタにしている以上、なんとも言えない。
ああ、匿名の身軽さというものがうらやましく思えてきたな。


