最近とにかく感じるのが焦りだ。
療養で時間を無駄にした、というのもあるが、
その間Youtubeやニコ動で暇つぶししかせず、
映画をみるなり、本を読むなりできなかった。
それは覚悟が足りないんじゃないか、と。
自分で自分を無理して抑圧しすぎなのかも。
ただ、私個人としては、一度気になるともう、
自分ではどうしようもないほど気になるのだ。
この日記も、スマホで見たときの改行が
気になり、時間をかけて対応しているし。
見られやすい時間帯に合わせ予約投稿とか、
内容がわかるサムネ用のイラスト設定とか。
誰が気にしてんだよ、ってレベルで、
細かい部分をこだわっていた。3ヶ月近く。
昨日の日記は、それらの一部をわざとやめた。
誰にも怒られることもないし、責任もない。
ただ、妥協したという結果が残るだけ。
だが、それが自分でも驚くほど辛いのだ。
不思議でしょう?自分で書いてて、
本当にスランプだなぁって思うんですよ。
ノってた時は1日5,000文字近く書いていた。
今はもう1,000文字書くのですらやっと。
夏休みはどんどん減っていく。
若さがどんどん消えていく。
辛い。なんだか、とっても辛い。
何が辛いんだろう?と、
自分の心をもう一度覗き込む。
ようやく輪郭づいてきたものは、死だ。
この1週間、私は死に近づいていた。
もちろん本当に辛かった人に比べれば、
私の症状は屁でもないくらい、軽いものだ。
だが、この辛さを両親も経ていて、
この世界の何百万という人が経験している。
その事実に、ただただ驚かされ、涙して、
なんだか悲しくなっていたのだ。
この感情を整理づけるのは難しいと思う。
ただ、この一週間で、間違いなく私は、
両親がいなくなった後の自分を想像した。
病床で、両親が死ぬ夢を何度も見た。
喉が痛み、薬で誤魔化し、何度も起きた深夜。
祖父母のように、大往生か、青天の霹靂か。
それはわからないけれど、いつかいなくなる。
将来の重み。時間の価値が重くなる。
今こうしている間の私は、どんどん過ぎ去る。
親と別れ、自分の足で歩く自分を想像し、
いずれ訪れる選択の重みをひしひしと感じる。
それが怖くて、でも何もできずに、
リハビリを続けていくしかない、自分が怖い。


