私は作品の感想や考察、トレンドに対する反応を、
Xでパブサし、見て回ることを趣味の一つとしている。
自分と同意見の人間を探しているのか、
あるいは、全く異なる意見の根拠を求めているのか。
たった140文字から与えられる情報量では、
「なぜ、その感想を抱くに至ったのか」が見えてこない。
なので、気になる意見を発したアカウントを遡り、
過去のポストやいいねを、ズラっと見に行ったりもする。
……まぁ基本、それでもわかることはない。
Xからは「人物像」しか見えない。「人生」が見えてこない。
仕方ない。自分の感情の理由を、誰が見るかもわからない、
ネットの海へ放流するのは怖いし、恐ろしいものだ。
結果的に、X――Twitterに長らく浸かった人間は、
「強い感情」ばかりを目にし、「その理由」を知れないのだ。
理由が分からなければ、理解はできない。
感情の存在を、許容することしかできない。
それが私のコミュ弱の根本症状。システムに毒され、
相互理解を “不可能だと思い込まされた” 最大の原因。
自分の感情の理由を、理屈を、原因を、ワケを、
ネットの海に流す人間を探し続けて。
いつのまにか、自分もネットの海に人生を、
自分の感情の変遷や、起源すらも打ち明けている。
いるかもしれない青い鳥を求め続け、探す姿は……
『ブルーバード・シンドローム』そのものだった。
今日はここまで。

