例えば、子供はただ転んだだけで、世界の終わりかのように泣き叫ぶ。
例えば、大人はささやかな幸運に、まるで気付かず素通りする。
どちらも、この世界を生きていて、けれど同じ解像度に生きていない。
これは、何らかの事柄に対する、捉え方や尺度の度合いの話だ。
一般的に、子供のうちはメタレベルが低い。経験が少なく、
すなわち「未知」がこの世に溢れている状態だからだ。
これは知識に限った話ではない。肉体の状態によっても変化する。
幼少期、家の階段の1段1段が、まるで登山のように険しく思えたり。
つまるところ、何らかの目標の進退を、生死に直結したように捉えるか、
人生で数ある分岐路のうちの、たった一つと捉えるか、の違いだ。
低ければ低いほど、ささやかな幸運や小さな不幸に一喜一憂する。
高ければ高いほど、大抵の苦痛や奇跡には動揺しなくなる。
どちらにも、多かれ少なかれメリット・デメリットが存在する。
どのぐらいの解像度で生きるかは、それこそ人それぞれなのだろう。
しかし複雑なことに、メタレベルは状況に応じて変化することもある。
事柄との利害関係、子供の岐路、ギャンブル、仕事、恋愛、などなど……
取り返しのつかなさや、人生への影響度の高さによって、
意識的にか無意識的にか、視野狭窄のメタレベル低下状態となるのだろう。
だが、あまりにもメタレベルの差がありすぎると、ある事柄への
感情の度合いや、熱量の温度差で、話がかみ合わなくなるのは面倒臭い。
「試験が受かった/落ちた」に「別に落ちても生きていけますよ」とか。
自動ピント合わせみたいに、苦労を感じず熱量を合わせられる人はすごい。
私はその調節が苦手なので、マニュアル操作でピントを合わせていくしかない。
コミュニケーション下手である理由の一つ、なんだろうけども。
これが大きな問題になるのは、世間の圧——常識だとされるものに、
ズレた反応をしたときだけだろうし。それ以外なら個人差の範囲に収まる。
「子供を残したいと思っている」「結婚したいと思っている」とか、
そういうものは暗黙の了解的な、向こうからすれば常識そのもの。
そこへ「別に結婚も子供もしたくないですねぇ」とかぶっ込んでしまうと、
明確なコミュニケーションエラーが発生してしまうのだ。
その度合いが難しい、という話でもあるし。
いやぁ、人と人が分かり合うのって、やっぱり難しいもんですねぇ。
今日はここまで。

