24/01/16 世界解像度(メタレベル)

日記

例えば、子供はただ転んだだけで、世界の終わりかのように泣き叫ぶ。
例えば、大人はささやかな幸運に、まるで気付かず素通りする。

どちらも、この世界を生きていて、けれど同じ解像度に生きていない。
これは、何らかの事柄に対する、捉え方や尺度の度合いの話だ。

一般的に、子供のうちはメタレベルが低い。経験が少なく、
すなわち「未知」がこの世に溢れている状態だからだ。

これは知識に限った話ではない。肉体の状態によっても変化する。
幼少期、家の階段の1段1段が、まるで登山のように険しく思えたり。

つまるところ、何らかの目標の進退を、生死に直結したように捉えるか、
人生で数ある分岐路のうちの、たった一つと捉えるか、の違いだ。

低ければ低いほど、ささやかな幸運や小さな不幸に一喜一憂する。
高ければ高いほど、大抵の苦痛や奇跡には動揺しなくなる。

どちらにも、多かれ少なかれメリット・デメリットが存在する。
どのぐらいの解像度で生きるかは、それこそ人それぞれなのだろう。

しかし複雑なことに、メタレベルは状況に応じて変化することもある。
事柄との利害関係、子供の岐路、ギャンブル、仕事、恋愛、などなど……

取り返しのつかなさや、人生への影響度の高さによって、
意識的にか無意識的にか、視野狭窄のメタレベル低下状態となるのだろう。

だが、あまりにもメタレベルの差がありすぎると、ある事柄への
感情の度合いや、熱量の温度差で、話がかみ合わなくなるのは面倒臭い。

「試験が受かった/落ちた」に「別に落ちても生きていけますよ」とか。
自動ピント合わせみたいに、苦労を感じず熱量を合わせられる人はすごい。

私はその調節が苦手なので、マニュアル操作でピントを合わせていくしかない。
コミュニケーション下手である理由の一つ、なんだろうけども。

これが大きな問題になるのは、世間の圧——常識だとされるものに、
ズレた反応をしたときだけだろうし。それ以外なら個人差の範囲に収まる。

「子供を残したいと思っている」「結婚したいと思っている」とか、
そういうものは暗黙の了解的な、向こうからすれば常識そのもの。

そこへ「別に結婚も子供もしたくないですねぇ」とかぶっ込んでしまうと、
明確なコミュニケーションエラーが発生してしまうのだ。

その度合いが難しい、という話でもあるし。
いやぁ、人と人が分かり合うのって、やっぱり難しいもんですねぇ。

今日はここまで。

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