私が昨日、どんな価値観同士を戦わせていたのか。
なぜメンタルが落ちていたのか。今日は、その思考の軌跡をたどってみよう。
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自分は頭がいいという、根拠のない確信がある。
——なのに、自分にできることには自信がない。
大抵のことはやればできる人間だ。
——けれど、結局やれないことも多い。
世のため人のために動けて、敬われる素質がある。
——ただ、自分のために生きている害悪なのだ。
自分がなし得たこと、できてしまうことに、私は……
私だけは、特別感を持てない。根本的に、自信がないのだ。
やろうと思えばできることには、心の奥底でなめ腐っちゃうがゆえ、
やってくれる人、助けてくれる人への敬いが欠けてしまうし。
根本的な自信のなさは、自分にできることを
「人にもできてあたりまえのこと」と錯覚させてしまう。
やればできると。自分にできたのだから、と。
なぜかできるのだから、なぜかできない人間の気持ちなんて分からない。
自信なんて付くはずもなし。分からないことは、褒められないのだから。
凄さが分からないものは、褒めようがない。あたりまえだ。
——だから、わかりやすい成果を出すしかない。
少し前までの自分は、そんな強迫観念にとらわれていた。
自己肯定感は、そこから生まれるわけじゃないのに。
他人からの賞賛や理解は、一時的な痛み止めとしては機能するかもしれない。
けれど、結局それも的はずれ。たまに毒も混ざっているしさ。
自分のすごさなんて、結局自分にしか分からないんだよ。
でもね。
意味不明な自分のことを。訳の分からないこの気持ちを。
どうにかして言語化しようとしているのは、きっと。
世界に対して叫びたいことを。9ヶ月もの間静かに、
ほそぼそと日記で書き続けてきたのも、きっと。
たとえそれが、果てのない大海にビン詰めの手紙を流すような、
……そんな、遠回りな作業だとしても。
人を理解しようと努力しているのは、自分が理解されたいからで。
自分の強さも弱さも肯定してくれる、友人が欲しかっただけなんだ、って。
あぁ。なんて健気で、なんでそんな簡単なことに気づけないんだろう。
ここにたどり着くのに、9ヶ月もかかってしまった。
……いや、案外上出来かもしれない。鬱からの復帰も早かったし。
ここからは、自分という人間を知らしめるための戦いだ。
なんだか最終回みたいなノリと文量になっちゃったけれど、
少なくとも3月までは続ける所存なので、ご安心を。
気合入れていきましょう。頑張るぞ!
今日はここまで。

