シナリオを絶賛勉強中。プロットやロジックはかなり理解が進んだので、
あとは表現、テリングの解析と実践って感じ。
文章表現……文体とは、ざっくりいうと脳内映像の言語化。
頭の中で映画を作っているようなイメージ、というか。
カメラワークだったり、どこにフォーカスを合わせるのかとか、
引きと寄り、抽象と具体、省略と説明の組み合わせ。難しい!
どんな人が読んでも、あまり誤差や勘違いを起こさないような、
読みやすく、気持ちよく、楽しい文章なんて、そう簡単には書けない。
例として、私が普段日記を書いているときのおなじような場面を、
「一人称」と「三人称」で書き分けてみよう。
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ふあぁ、と私はあくびをかみ殺す。寝起きはいつも意識が雲の上にいるようだ。
まったく、いまは何時だ? ぼやけた目をこすりつつ携帯を開く。
なんだ6時か。……ん、朝6時? まずい、昨日の日記がまだじゃないか!
視界のモヤは一瞬にして消え去った。衝動に突き動かされてパソコンを起動する。
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アイケーはあくびをかみ殺す。朝に弱い彼にとって、二度寝の誘惑は強敵。
脱力感に抗いながら、枕元へと手を伸ばす。しばらくして指が携帯を探し当てた。
画面を一瞥すると、アイケーは突然なにかを思い出したかのように目を見開く。
昨日の日記を書きそびれていたのだ。ベッドから飛び起き、パソコンを起動する。
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って感じで。感情移入しやすいのは前者だが、後者は情景が浮かびやすい。
大抵の文体はここまで両極端ではなく、このハイブリッドがほとんどだろうけど。
……これは自分でもビックリしているのだが、文章表現のハウツーを見ていると、
なぜだか分からないが、自分を否定されたような気分になってくる。
おそらく文体って想像以上に思考、というかアイデンティティそのもので、
イラストでいう絵柄みたいに、変えようと思っても簡単には変えられないのかも。
これまで見てきた表現、文章、小説、ブログ、サイト……の反映ゆえに、
結果の補正ならともかく、過程を矯正されると拒否反応が出るのだろうか。
文章というのはまだまだ奥深い。
理想の物語を目指して、努力を続けるのみだ。
今日はここまで。

