昨日日記サボってすいません。想定外があったのもさることながら、
X(Twitter)に対する考察——思案が、昨日ようやく腑に落ちたので。
私のような人間は、自らの気持ちや感情・哲学について、
理解してくれる人間を見つけることが、とても難しかった。
長いモラトリアムの過程で、数少ない理解者と出会う、それぐらいだ。
しかし、現代のSNSはその役割を代替した——いや、してしまった。
X(Twitter)が、あるいはSNSが、もっと言えばインターネットの存在が、
さらに言うなら検索機能の発展により、それらの問題は解消された。
なぜか。それは『自身と同じ意見を探すことができる』からだ。
自分と同じ意見を持つ”誰か”を、すぐに見つけることができるからだ。
同意見を発見することで、承認欲求以前の「所属欲求」は満たされる。
「この世界にいてもいい」「君はひとりじゃない」という世間からの許容だ。
しかしながら、それらSNSへの依存は数多のデメリットを生む。
その最たるものが、多数派への迎合である。
多様性を認めて欲しいけど、独りにはなりたくない。
これは本能的行動であり、そう簡単にやめられるものでもない。
私にとって、X(Twitter)は「都合のいいキメラフレンド」だった。
世間の集合体から、自分と同じ意見を「発掘、吟味、理解、複製」する。
群れに許容される感覚。それがパブサのメンタル的効能だったわけだ。
反対に、炎上系のトレンドに関しては、逆効果ではあるんだけども。
自分と似た性質を持つ対象が燃えていたり、感情移入・理解ができるとき、
世間から攻撃を受けている……という、錯覚を感じてしまう。
私は、Twitterという集合意識の都合のいい部分ばかりを使いすぎた。
それが巡り巡って、まるで毒のように、人間不信、性悪説を悪化させている。
群れの一員だが、決して気の許せる友人ではない。
世の人間とはここまで醜いのかと、毎日毎日痛感するばかり。
だが、ここにきて、ようやくその構造を自覚できた。
「私は基(もと)から孤独なのだ」と再認識した、とも言える。
今までも、別に大したツイートはしてこなかったが、
これからはより、X離れを加速させていく所存だ。
今日はここまで。

