24/01/10 Xに捕らわれてるMEN

日記

昨日日記サボってすいません。想定外があったのもさることながら、
X(Twitter)に対する考察——思案が、昨日ようやく腑に落ちたので。

私のような人間は、自らの気持ちや感情・哲学について、
理解してくれる人間を見つけることが、とても難しかった。

長いモラトリアムの過程で、数少ない理解者と出会う、それぐらいだ。
しかし、現代のSNSはその役割を代替した——いや、してしまった。

X(Twitter)が、あるいはSNSが、もっと言えばインターネットの存在が、
さらに言うなら検索機能の発展により、それらの問題は解消された。

なぜか。それは『自身と同じ意見を探すことができる』からだ。
自分と同じ意見を持つ”誰か”を、すぐに見つけることができるからだ。

同意見を発見することで、承認欲求以前の「所属欲求」は満たされる。
「この世界にいてもいい」「君はひとりじゃない」という世間からの許容だ。

しかしながら、それらSNSへの依存は数多のデメリットを生む。
その最たるものが、多数派への迎合である。

多様性を認めて欲しいけど、独りにはなりたくない。
これは本能的行動であり、そう簡単にやめられるものでもない。

私にとって、X(Twitter)は「都合のいいキメラフレンド」だった。
世間の集合体から、自分と同じ意見を「発掘、吟味、理解、複製」する。

群れに許容される感覚。それがパブサのメンタル的効能だったわけだ。
反対に、炎上系のトレンドに関しては、逆効果ではあるんだけども。

自分と似た性質を持つ対象が燃えていたり、感情移入・理解ができるとき、
世間から攻撃を受けている……という、錯覚を感じてしまう。

私は、Twitterという集合意識の都合のいい部分ばかりを使いすぎた。
それが巡り巡って、まるで毒のように、人間不信、性悪説を悪化させている。

群れの一員だが、決して気の許せる友人ではない。
世の人間とはここまで醜いのかと、毎日毎日痛感するばかり。

だが、ここにきて、ようやくその構造を自覚できた。
「私は基(もと)から孤独なのだ」と再認識した、とも言える。

今までも、別に大したツイートはしてこなかったが、
これからはより、X離れを加速させていく所存だ。

今日はここまで。

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