私の性格・性質に対する、一つの仮説が立った。
キーワードは「メサイア・コンプレックス」だ。
ここ数ヶ月、私ができうる限り調べた結論として話すが、
コミュニケーションの本質は「相手に興味を持つこと」だと思う。
相手に対し何らかの行動を起こすとき、そこには
程度の差はあれ「何か」を期待するマインドがあるはず。
マインドにも種類はあるが、ネガティブな (嫌いなどの) 類では、
近づこうとする行動には至らない。むしろ離れようとするはずだ。
(X:旧Twitterにおける、フォロー/ブロックの関係に近い)
で、前者の「ポジティブな行動を起こす」類の興味について、
例が少ないものの、私もある程度は実践できている。
以前話したと思うのだが、尊敬するクリエイターが語る裏話や、
インタビューなど、そういったものが私は大好物なのだ。
現在でも、そういったコラム・日記を有料で定期購読している。
我ながら筋金入りの「クリエイターオタク」かもしれない。
だが、それ以外は? そう。そこが明確な問題点。
「尊敬するクリエイター」以外へのポジティブな興味がない。
これは興味を持つ対象の選別であり、言ってしまえば
「友達になりたい人を自分から選んでいる」行為だ。
詳細はぼかすが、私は中学時代の最序盤にレールを外れている。
真っ当な人生、というものはその時点からほぼ諦めていた。
「これは、正しい道ではない」という自罰意識。
「ならば、結果を出すしかない」という結論への回帰。
それが私の抱える「メサイア・コンプレックス」の根源であり、
長いこと夢見ている「創作者」への憧れそのもの。
中学時代の罪の意識を、払拭しきれていないまま、
自分の無産っぷりを未だに引きづり、興味が外へ向かなくなる。
だから、私は求めているんだと思う。
「この道で、正しかったのだ」と胸を張れる結果を。
「私は、このために産まれてきた」と叫べる理由を。
あの時の選択を、レールを外れた道筋を肯定するために。
これまでも、これからも、走り続けるのだ。

