24/03/18 暇そうは発見の母 (後)

日記
昨日の日記の続き。

いま残っている数少ない「必要」を見つけるための方法、苦痛の発見法とは何か。
……それは『暇』だ。思考をおこなう時間と言い換えてもいい。

あのときなぜ怒ったのか。なぜ笑ったのか。なぜそう思ったのか……など、
自分というサンプルケースを元に、人間の感情やパターンの理解を試みる行為。

それは無意識にスルーしている「あたりまえ」や「常識」に再注目してみたり、
いつのまにか抑え込んでいた「自分の本心」に気付くきっかけにもなる。

情報化社会の現代では、自分自身の心に目を向ける余裕がなくなっていることも多い。
文章。動画。写真。漫画。イラスト。少しでも暇ができたらそれを見ている。

暇な時間があれば、1つでも多くのコンテンツを消費したいというのが本音だろう。
コミュニケーションの種にもなるのだから、やらない理由がない。

「考えごと」から直接的に結果が生まれることはほぼないと言ってもいいぐらいで、
そんなリスクのかたまりより、面白いと確定したものを優先するのはあたりまえ。

しかも「自分自身と向き合い思考する」行為は往々にして苦痛を伴う。
心とはそもそもが未知の領域だ。下手をすれば世界そのものよりも謎が多い。

ひとつだけ言えるのは、暇であることは決して悪ではない。
人間は暇になれば「必ず」何かしらの暇つぶしを探したり生み出せるのだから。

今日はここまで。

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