なぜ私が普段から思考を言語化し、日記にわだちを残しているか。
それについて説明しよう。ひとことで言うなら「無意識への贈り物」だ。
私は基本何をしていても「考えてしまう」性質を持っていて、
これを「無意識に沈んでいた疑問が浮き上がってきた」と解釈している。

イメージとしては氷山に近い。自分が認識している部分以上に、
幼少期の教育や世間から受けた影響は、無意識下で「自分」と繫がっている。
そういった場所に眠っている思考は、いわば自分の奥底にしまわれた切実な疑問。
意識・無意識を浮き沈みする氷塊のようなもの、というわけだ。
疑問そのものを忘れてしまったとしても、それはただ無意識へと沈んだだけで、
関連することがらを契機に、再び意識領域へ浮かび上がってくることもしばしばある。
そして、無意識領域にある疑問というのは「勝手に解決されることがほぼない」。
モラルや道徳と似た場所に、疑問は疑問のままとしてしまわれるだけだ。
ではどうすれば疑問に回答を出せるのか。そのヒントが「言語化」だ。
言葉にして記録に残すことは、意識的に考えるための錨……アンカーになる。
睡眠や別の思考で一時的に忘れてしまったとしても、記録があれば思い出せる。
心の内へ沈んだ疑問を釣り上げて、意識領域へ引っ張りこめるのだ。
そうしたらあとは根気の問題だ。情報の収集、自分自身との向き合いを経て、
納得のいく答えを導き出せれば、大きな氷を解凍できる。
経験上「答え」にたどり着いた疑問はその後忘れてしまったとしても、
アンカーが残っているらしく、他の記憶や知識よりかなり思い出しやすい。
こうして、今皆さんがご覧になっている理屈まみれの日記が出来上がるわけです。
やっぱりマネしなくてもええな。もし気が向いたらぜひ。
今日はここまで。

