今私が直面している問題の中で、もっとも切実かつもっとも根本的な原因にあたるのが「そもそも人間が嫌い」というマインドだ。
誤解されないよう一応補足しておくが、ここで言う「人間」とは自分を含めた総体としての人類、ホモサピエンスという種族全体のことを指している。一人一人、個人個人としての人間についてはまた別の話だ。
自分なりに矯正しようと努力はしているが、それにも限度はある。エンタメを創る人間として、お客様にあたる大衆が嫌いというのはあまりにもひどく矛盾しているように思えてしまう。
原因はいろいろあるが、自分語りになるので伏せさせていただく。もう取り返しようのない過去を気にしてもしょうがないし、人格形成がほぼ完了してしまった以上、そんなことを考えても意味はないので。
話は変わるが、作家の個性とは何に由来するか分かるだろうか。ズバリ「好き嫌い」だ。それも当たり前で、何を愛し、何を嫌い、何を醜いと思い、何を美しいと思うかの感性・思想は多かれ少なかれ表現に滲み出る(出てしまう)。
文章にしろ絵にしろ、研鑽の過程でどうしても自分自身の感性による判断を必要とするのだから当然といえば当然だ。それを言語化しているか否か程度の差はあると思うけど。
何が言いたいのかというと、人間嫌いなヤツが小説を書こうとすると人物描写が薄っぺらくなってしまうのだ。悪役だったりヒールだったり、そういう「嫌われてもいいキャラ」であれば話は変わるが。
それ以前のサービス精神とか、エンターテイナーとしてのスタンスともかみ合いが悪い。嫌いなヤツを楽しませようとか考えてもモチベーションに悪影響しかないし。
なので、現状の悩みというのは「何とか人間を好きになりたいんだけど、難しい」という点に集約される。別に嫌いなままでもいいじゃん、と思う人もいるかもしれないが、私はこれに非常に悩まされているのだ。
この問題は未だに自分の中での回答が出せていない。個人的にも、かなり長い時間をかけて向き合うべき命題だと捉えている。
今後の日記で人間嫌いを前提とした話をすることもありそうなので、一度まとめておくべきだと思い、書き留めた次第だ。
改めての念押しになるが、一個人としての人間は好きだ。家族、友人、仕事仲間など、自分はむしろ出会いに恵まれているとさえ感じている。総体と個人でどこが違う(と解釈している)のかも、いつか書けるときが来れば書きたい。
今日はここまで。


