26/05/21 超かぐや姫! へのスタンス

日記

はじめに言っておくが、私は超かぐや姫!のことをすごい名作だとか、逆にとんでもない駄作だとは思っていない。

あくまでも流行の一作品として、いいところも悪いところも両方ある普通の作品という感覚のまま消費したし、その感想は今も変わらない。

ただよくも悪くもこの作品は現代インターネットの映し鏡すぎて、好きな部分も嫌いな部分も掘り下げると概ねネットのそれに近くなってしまう。

そのため感想をまとめようと思うと事実上SNSに対する自分のスタンスをまとめきる必要が出てきてしまう。1月の時点で観ていたのに感想を公開できずにいた最大の理由はここだ。

そうこうしている内に流行のほうが落ち着くだろう、という読みもあって寝かせることにしたのだが、想像以上にかぐやの熱が冷めない。

劇場公開やクラファンなんかもあり、こりゃしばらくは沈下/鎮火しねえなと思ったので腹をくくって筆を執った次第である。

ちょいちょいXのほうで友人とこの映画について会話していたのもあったし、その辺もひっくるめて感想を書いていこうと思う。

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この作品を最初に見たのは1/27。Netflixのホームでランキング入りしていたのが気になって、詳細を調べている。

アニメだしドラマシリーズなのかな? と思っていたが、2時間ちょっとで観られる映画だと知って「こりゃ手軽でいいね」と勢いで視聴を始めた。

当時の感想を裏で付けていた日記からサルベージしてきたので、時系列順に乗せていく。

  • ~20分。おもろすぎ。エンタメド直球だこりゃ。おかげさまで生きておりますってオモコロネタか?
  • 作画に関しては綺麗だと思う。ヌルヌル動くし明確に他のアニメとは一線を画すポイント。
  • この先どういう話の運び方をするんだろうか。ハピエン目指すってのが目標なのかな?
  • 中盤(KASSENパート)、ちょっとだれた印象はあるな……。目的の連鎖がちょっと遠い。ハピエンのためにトップ配信者になるって時点でムムッ? となってたのに。
  • 一旦別れてまた会わすの、原典かぐや姫の提示から見え透きすぎてて「はよやってくれ」感強かった。
  • ○○○○○の○○ルート(某ゲームのネタバレなので伏せ)をマイルドにしたverというか。あれを都合よくハッピーエンド化したらこうなるというか。
  • 終わった。もったいね〜〜〜〜〜。感想が長文化しそうな作品だな〜〜〜。自分の中ですら賛否両論出てくる〜〜〜。

ここまでがリアルタイムでメモしていたもの。ここからは見終わったあとの思考ログになる。

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テーマは「自由」かな。定められた役割と譲れないモノの話。でも首尾一貫してたようには思えない。

後半はエンタメ性重視してちょいブレたような感じ。個人的には別れのシーンで終わってても全然アリだったくらい。

かぐやとの別れに感情移入ができなかったのも大きい。思い入れと関係性の描写が映画尺だとさすがに足りなかったか?

ところどころ説明不足、というか都合よすぎるのもマイナスかなぁ。ブレスレットが結局何だったのかとか(なんでそれは残ったのか)。

月の使者がなんでネット経由でしか干渉できないのか(なのになんで現実のかぐやも居なくなるのか)、それが分かってるのにかぐやをわざわざネットに接続させるのはなぜかとか。

あと中盤のバトルシーンはなにあれ。明らかに本筋じゃなくておおん?ってなっちったな。兄との確執を乗り越えるって筋はあるけど、あのやり方じゃなくてもいいだろとしか。

序盤の日常百合ギャグアニメからジャンルが変わりすぎてついて行けんかった。

作画・音楽・演出は文句なし。これに関しては最近観たアニメではトップレベルかも。ボカロそこまで詳しくなくても名曲だな〜ってなったし。

ただこれはミュージカルシーンあるほとんどの作品(例:ディズニー)に言えることだけど、物語の進行が停滞するぶんテンポ的には若干悪影響あったかもしれない。

総じて面白かったけれど、期待してた感じとはちょっと違ったかな。

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これは当日に書いた感想なので、そこまで深掘った解析はしていない。

しかしその後、ネットで絶賛の声が溢れてきて自分の温度感とのズレを感じつつあった。思ったよりも”賛”一色だな、と。

そんななか、2/23にバルト9で応援上映があり、運良くそこに行くことができた。

以下は再鑑賞を踏まえて再度書いた感想だが、ある意味では応援上映レポとしても読めると思う。

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コスプレとかサイリウムOKって聞くからどんなもんかと思ったけど、ほとんどは私と同じ徒手空拳って感じかな。着席率は体感8~9割以上。

客層はやや男多め、若い世代が多いか? でもほぼ老若男女といって差し支えない。

暗くなった途端大声でテンション上げてくれたやつがいた。素直に尊敬。たぶん一般人だよな? 別にサクラだとしてもいいけど。

思ったより「映画館」で声を上げる行為に罪悪感が……まだ静かにすべきというトンマナが解除しきれてない感じ。普段よりざわめき(私語)が多いかもってくらい?

ここまで予告だけの時間だけど、それでも楽しいなぁ。これはいい体験だな。チケット取れてよかった……! サイリウムは所持率3〜4割くらいか? コスはほぼいないな。たぶんゼロじゃねえか?


(ここまで上映前のメモ、以下は上映後のメモ)

いやーーすごい! これは……すごい! テーマが役割と自由なのは再確認できた。で、確かに2週目かつ応援上映ぶんの隠し味を感じたな。

そのうえでこれを感想には反映できない。体験としてのベクトルが異なり過ぎる。

ある程度反対意見を取り入れた上で、たぶんどちらの意見も理解できた。まず彩葉周り、天才属性が盛られている割には中途半端に弱っている。

感情移入の方向性が「救われてほしい」なのか「安心できる最強主人公」なのかが曖昧。

物語が進むにつれて異常なまでにタスクが増えていくにもかかわらず、なぜかキャパオーバーを起こさないのは意味が分からない。

普通悩みや葛藤を感じそうな部分を天才ゆえスルーして、脚本の都合で葛藤してほしい部分ではしっかり葛藤している感じ?

かぐやとかは序盤の狼藉でヘイト買ったりしてるのがまずい。自分的には子供のやること(赤ちゃんのやること)だから、ってのであんまりイラつかなかったけど。

脚本的に「かぐやを好きになれない」とそのままノれない人は多かったかも。あとこれ今考えるとなんで赤ちゃんでやってきたのか分からんな。

いや竹取物語リスペクトなのは分かるんだけどね。設定的に考えれば年齢は最終状態でやってくるってのが自然なはずなんだけど……

まあ月≒ネット住人なのにかぐやだけ現実来てる時点で設定もクソもないか。

あと序盤、原典にあたるかぐや姫をバッドエンドだ〜とか言ってんのはリスペクトに欠けている。まがりなりにも現代まで伝わっている物語なのに。

んで家族周りの描写。テーマとも密接に絡んでるから同時に話したい。
超かぐや姫は「自由」が根本のテーマにあたる。具体的には彩葉が「我慢」を、かぐやが「自由」を体現しているキャラ。

序盤のかぐやの問題行動も、花火のシーンで本人が語ってる通り 「自由だけど、皆我慢してもいるんだよね」ってセリフに繫がる。

その後の彩葉の行動も含め、これ以降明示的に二人の立場が逆転して彩葉が「自由」を、かぐやが「我慢」を知っていくという構図になっているのだ。

これ自体はまあまあ納得がいくし、対比として美しいと思う。

ただし、中盤まったく別の話になっちゃってるのが痛い。

彩葉が「我慢」の体現だとさっきは書いたけど、親元離れて一人暮らししてたり、かと思えば母の言う通りの大学にいこうとしていたり、立ち位置が曖昧すぎる。

そんなに我慢して何を目指しているの? なんのために我慢しているの?ってのが見えてこないせいで彩葉の行動原理が分からない。

ここは彩葉からヤチヨへの思いにも同じことが言える。推しなのは分かるんだけど、なんで推してるの? という。ただでさえ金銭的にカツカツなのに。

ただ全体的に、母というより「正しさ/理屈」に縛られている節がある。体調不良なのにバイト行こうとするシーンが顕著。

文脈的に、毒親というよりロジハラのニュアンスに近いというか。

「(母を)嫌いになれたらよかったなって思う」というセリフを考えてもこれは間違いなく意図したキャラクター造形だと分かる。

んでだいぶ尺とって描かれたvs帝戦(KASSEN)で描かれたテーマはこっち。

「人を頼りたくない」「逃げたくない」「真面目」「それでも譲れないもの」……つまり、彩葉がわがままを言えるようになる/反抗できるようになる話なのだ。

ただ、最初の時点で親に反発して意地で一人暮らししている以上、とっくに反抗できているっちゃできている。なのであんまりカタルシスがない。

あと描き方の問題で母にヘイトが向いているのにそこがスルーされてるのも惜しい。電話して「言えた……!」とか言ってるのも、元からじゃん? ってなるし。

だったらちゃんと「我慢」と「自由」の話で一本貫いてほしかった。決められたレール、求められる役割からの逸脱。それ自体はいいテーマなのに。

終盤はなんなら「喪失」がテーマにすり替わっちゃったし。rayもその文脈。かぐやを喪ってから彩葉が我慢しなくなったのも、見方次第ではただのヤケクソだし。

結果的にかぐやを呼び戻せたからいいけど。月ってそんな出入り自由なのかよ。自分もちゃんと泣いた上で書くが、これはお涙頂戴がすぎると思う。

設定的にも、かぐやに月の民の記憶がないのはご都合にもほどがあるし、なんでネットを介してしか干渉できないのにかぐやは現実にいるの?と思うし。

ヤチヨの8000年は我慢の体現として申し分ないけれど、もうちょっとそこは掘り下げてほしかったな、と思ってしまった。

全体通したコンセプトというか作風として、エンタメ(娯楽性)に特化した方向性なのは見て取れる。

よくも悪くも、今の時代に合った作品だとは思う。お祭り根性的な。作品と消費者の関係性が「対話」ではなくて「催事」に近いというか。

個人的には「物語」すらも空洞にしちまうのかよという憤りがないワケでもないが、これはこの作品に限った話でも、今に始まった話でもないので省略。

割り切って鑑賞すれば楽しいエンタメであることは間違いない。ポプテピピックとかのニコニコ的なコメント文化に近いノリだと思う。あるいはなろう系/無双系的な大衆娯楽。

実際、応援上映との相性もよかったし。ありきとまでは言わずとも親和性は高い。

発声可能上映としての感想、楽しかった。シンプルだけど。リズムに合わせて手を叩くとか、拍手するとかって、楽しい。

自分は恥ずかしさを捨てきれなかったからあんま声出せなかったけど、それでも人のリアクションが聞こえるのって根本的に楽しいんだな。

普段の映画が「他人の存在を忘れる/気にならないくらい没頭できる」と素晴らしいのに対して、応援上映に向くのは「他人と同調/共鳴/共感できるシーンが多い」方かも。

リアクションがしやすい、とも言える。別にその2つは相反するモノじゃないし。

それとやはり劇伴は素晴らしい。映像面も映画館スケールでの視聴に耐えうるクオリティだったし、ホント物語部分さえよければ歴史に残る大傑作になり得たと思うんだよな……。

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最初に「この作品自体にはそこまで強い感情を抱いていない」と書いた。あれは噓ではないが、作品を取り巻くファンダムに関しては少なからず思うところがある。

イン・ザ・メガチャーチでも似たようなことは言っていたが、端的にいって近年の娯楽は宗教的すぎる。

果てスカとかジークアクスとか「叩いていいものだ」という空気になれば、流されるように作品をおもちゃにする軽薄さ。

称賛され現代進行形で消費されている作品に関しては、否を含む意見を放つだけで冷笑だの逆張りだの楽しめない属性持ちだの散々に貶す。

多様性の名の下にあまりに大量の「正しさ」が生まれた現代では、数少ない共通言語として「面白さ」が使われているのだろう。

作品を通して、曲を通して、創作者を通して、推しを通して、ものすごく遠回しに自分を肯定する。

面白い作品を面白いといっておけば、世間の流れに乗れる。柔らかい相互肯定の波に揺られて心地よくなれる。

だからこそ、その面白さ≒正しさを崩そうとする人間へは強く反発してしまう。それはその作品を面白いと思った自分(の感性、価値観)を否定されるのと同義だからだ。

ごく少数の過激な人間のせいで、大多数の「ただ楽しんでいる人間」が割を食う。過激な行動は賛否両論を生むから、SNSのシステム的により多くの人間に観られてしまう。

SNS的な倫理規範を内面化しすぎている人間が多すぎる。というより、あらゆる表現者がSNSを気にしすぎている。

役に立つか、感情的にさせるモノでないと人に見られない。”つぶやき”に意味が求められる。

はじめは個人的な”つぶやき”でも拡散システムのせいで事後的に全世界へ叫んだことに変えられてしまう。

YoutubeもXもnoteでも、感想が評価される時代。ありきたりな感想は下へと沈む。やっていることは言語化の代弁と責任の押し付けに過ぎない。

システムとアルゴリズムの奴隷。現実にも滲み出す他者の視線。世間信仰の強化。

生まれ育ったときからネットやスマホが身近にあった世代、SNSネイティブが社会人になりつつある。

数多の炎上や理不尽な誹謗中傷を思春期に目の当たりにした人々。必然、ネットリテラシーやそれに付随する価値観を内面化しがちになる。

結果は言うまでもない。イーロンの目指した理想郷、個人個人の「正しさ」をもとに戦い合うバトルSNSの完成だ。

これは超かぐや姫作中のファン描写にも繫がるが、オタクが「モブとして、数字として」しか扱われない。”見えない他人”へのリスペクトがあまりに欠けている。

活動で得たお金をあぶく銭呼ばわりするところとか、配信者にも失礼だろってくらい描写が雑。

「自由を選べる自由」への無頓着さは現代の病理だ。お金とか時間とか才能とか。自分を支えてくれている沢山のものに対する敬意の無さ、配慮の無さ、意識の無さ。

そこら辺全てをひっくるめて、自分は超かぐや姫!のことを現代SNSの鏡映しだと思ってしまったのだ。

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あれこれ書いたけれど、娯楽作品としては十分楽しめた作品だ。ファンダム関連も、SNSについて考えるいいキッカケになったし。

ここで書いた感想はあくまでも自分の一意見で、これを読んでいる貴方が別の意見や感想を持っていたとしても、それを否定するようなものではない。

が、もし「感想に対する感想」が来たとしても甘んじて受け入れる所存だ。

それに、ジークアクスがいい例だが、時が経てばネット全体の空気感も変わる。

後から見返したとき、この頃は超かぐや姫がこんな風に扱われていたっけ……という一種のタイムカプセルとして観られればいいな、と思う。

今日はここまで。

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