26/01/18 流れるフール

日記

人間が怖い人間が嫌いとは言うが、具体的にどういう所が気に食わないのかはこれまであんまり言及してこなかった。なので今回は数ある理由のうち一つを、覚悟決めて深掘りしていこうと思う。

流行、ムーブメントの話。時代の移り変わりは昨今目まぐるしく、とてもじゃないが全てにはついて行けない。というよりついていく気が毛頭ない。

趣味や嗜好が細分化・多様化した現代、昔のテレビのような国民的レベルでのムーブメントが起こることは減った。近年はスポーツや音楽ジャンルのごく一握りが辛うじてその領域にある印象だ(大谷など)。

反対に、世界レベルの事件は今現在進行形で常に起こり続けている。ネガティブな話題が共通言語になることも然もありなんと言うべきか。

インターネットが大衆の物になったことで人口は増加し、近似したコンテンツ内である種の秩序……界隈が形成されている。これ自体はサイトの特色など言い方が違うだけで昔から存在はしていた。

いい言い方をすれば棲み分けだが、悪い言い方をすれば断絶や分断が深まった。これによりSNS上のすれ違い掛け違い炎上賛否両論が加速した面は少なからずあるように感じる。

例えば本人が意図しない形で読み取られたことでの炎上。それまでの投稿の流れやアカウントのキャラ性を踏まえたような発信だったかもしれないのに、拡散は前後の文脈を引き剥がしたうえで界隈を越えてしまう。

弁明や謝罪に対する反論として「誤読/誤解されるような投稿をした方が悪い」という指摘があるが、それは拡散行為自体への責任追及とセットで行われるべきものだ。

「不快なものを見せるな」という感情は理解できる。ごもっともだ。ただそれを発信者本人にぶつける前に、貴方のもとに持ってきた人間や場の仕組みにも同じような目線を向けて欲しいと私は願う。

また最近、攻撃行為そのものがムーブメントになることが妙に多い。あれ皆でディスらない? というノリだ。最近だと果てスカとか、ジークアクスも再放送を契機にその波ができつつあるのを観測している。

そういった一体感や連帯感は昔の匿名掲示板でいう”祭り”のそれに近いのだろう。一度叩いていいレッテルを貼られたものは罵詈雑言の嵐で見ていられない。いつも悲惨でやるせない気持ちになる。

このあたりの原因は、世間の信仰とか空気を読む国民性とか、いろいろ掘り下げようと思えば掘り下げられるけど……今回は割愛。

まとめると私は「ノリと場を疑う」性格なのだ。流行した作品も後から追っかけで視聴したりするし、わりと自分のパッションというかダイナミズムを重視する傾向にある。

けれどノリ自体は悪いモノではない。たまには波に身を任せるのも乙なものだと思う。でもそのときは自分の意志で流されたい。同じアホなら踊らにゃ損損という時もあるからね。

今日はここまで。

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