23/06/02 人を肯定し、世界を肯定せよ

日記
日記

人間観察が好きだ。
とは言うものの、特に人が好きなわけではない。

自分のことを考えに考えつくした末「他人はどうなんだ?」と
思ってしまった者が、行き着いた先である。

さらに言えば、他者のなかで観察する部分というか、理由が不純だ。

「なんだ、みんな悪いんだ」と
自分の”悪”を肯定するための、材料探しに必死だった。

そうすると、いつの間にか「他者を心の中で否定する」ことが癖になってしまう。

「今さらそんな古いゲームやるのはダサい」とか、
「人に考えなく話しかけるなんて、傷つけてる自覚がないのか」みたいな。

そういう「否定」は、一時的な安息感こそ得られるものの、
いざ自分が行動するとき、鎖となって行動を縛ってしまう。

「自分がこう思ってるのだから、相手も思ってるに違いない」
「私がこうしたら、相手に嫌われてしまう」

見事な引っ込み思案の完成だ。

誰も得しない。

けれど、今までの否定をちゃぶ台返しするのは、
自らの性格の悪さ、過ちを認めることになってしまう。

日増しに増えていく罪、返すに返せなくなった借金から
目を背けて、その日暮らしを続けるしか、ないと思っていた。

でも、もうこれ以上世界を否定したくない。

ここでいう”世界”は、主観的なものだ。
私が産まれた瞬間に生まれ、私が生きた上で”認知”したすべてのこと。

たった一度の人生なのに、世界に絶望したまま終わりたくない。
この自分ごと、この時代、この世界をどうにか「肯定」したい。

そのために必要なのは、人、コンテンツ、自然……
世界を構成する、あらゆるもの。それを肯定することだ。

今まで否定のために使っていた回路を反転させ、
“いいこと”探しのために、使用する。たったそれだけのことだ。

けれど、それだけで、主観的な”世界”は劇的に変わる。

自分が古いゲームをやろうとするときや、人に話しかけるとき、
いの一番に否定してくる「過去の自分」を振り切れる。

だから私は、今日この時をもって、あらゆる前言を撤回する。

そして、心の中にいた、過去の自分へ。
感謝とともに、別れを告げた。

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