アンテナ感度が高まりつつある。
これだけ書くと、なんだかテレビが故障したようにも見えるが、
私が言いたいのは「物語の情報量」である。
映画、小説、アニメ・・・なんでもいいが、
世のコンテンツは、とにかく情報量が多い。
映画やドラマであれば、ある種の逸脱・・・
“作品としてではないナニカ”が紛れることもある。
俳優の表情、動作、言動、アドリブなど・・・
いわば「無駄な情報」だ。
私たちは、それらを見るとき、
「物語に関係があるか」を無意識に選別している。
俳優は、そういった「無駄な情報」を、
「キャラクターを理解させるための補足情報」にするプロだ。
優しい性格なら、表情は崩す。
怒っているなら、普段より動作を大雑把に。
自分ではない誰かを、演じきる。
これがうまくハマると、逸脱は大量の補足情報に生まれ変わる。
一方、アニメやゲーム、小説は、
作品に含まれる情報ほとんどが、意図した必要情報だ。
作り手の、これを理解してほしい、
これを知っておいてほしい、という誘導ありき、とも言える。
故に逸脱は生まれない。
強いて言えば、アニメは声優の力が強い分、やや起き得るか?
もちろん、これは優先順位の話とは別だ。
コンテンツには、受け取って欲しい情報に優劣が存在する。
「これを逃したら、あらすじすら把握できない」ものもあれば、
「これは知っていれば、ある場面で役にたつ」程度のものもある。
一般に、前者はくどいほど何度も何度も繰り返し説明される。
キャラの人格、ストーリーの主要ギミックなどがそれだ。
後者はサラッと、それこそ日常会話の中で現れることも多い。
しっかり物語と向き合ったとき、辛うじて発見できる類のものもある。
だが、最近はコンテンツにコスパが求められる時代だ。
ソシャゲが流行したように、”情報量”にも流行りがある。
情報の取捨選択が、困難となった現代。
自分の受け取る情報量を、微調整するぐらいなら、
自分の好きな情報量のコンテンツを探した方が楽だ。飽和してるし。
それはそれで、現代を生きるすべとして、一つの正解だが、
個人的には、自分のアンテナを調整することを、諦めないでほしい。
過去の名作や、すでに見た作品を再度見る理由の一つがこれ。
取りこぼした情報の再発見、アンテナの調整だ。
伝えるチカラのプロたちが、全力で投げつけた情報を、
私たちは、ときに全力で受け取りに行ってもいいのかもしれない――。


