何かを考え事をするとき、言葉を脳内で連ねる人もいれば、
映像を思い浮かべたり、声がラジオのように響く人もいる。
私はというと、脳内に作業場的な想像上の世界がある感じだ。
思考内容に応じて、上記を切り替えるというイメージ。
そのなかで一番中核に近いものはどれか、と問われると、
恐らくは言葉、センテンスなのだと思う。
だが最近、言葉や語彙に思考が寄りつつあるというか、
気持ちのほうが言語化しやすい形に変わっている感覚がある。
自分の気持ちを、誰かに伝えるためのツールが言語なのに、
ツールにあわせて自分が変化してしまう本末転倒さ。
根本的な話をするが、人間の深層意識に言葉は介在していない。
自分がこれまでした行動に、理由を何度も求めていくと、
理由の無い情動、あるいは本能と呼ばれるものにたどり着く。
好きになることに理由はいらない、とはよく言ったもので、
どう掘り下げても、好きだから好きとしか言いようがないように。
「なんとなく」だとか「よく分からない」心の動き。
「したい」という欲求や「したくない」という嫌悪。
言語化の過程で取りこぼす、ニュアンスや感情の機微。
それを私は、少しずつ失っているのではないかと不安なのだ。
今日はここまで。

