“個人”がブランド化しつつある現代では「何を言ったか」より
「誰が言ったか」も重要視されることが多い。文字通り箔を付けているわけだ。
最近はやはり、自分語りなんて聞きたくないって人がほとんどなのだろう。
こんな日記書いててどの口が言うとるか、とツッコまれそうだが。
私が普段あーだこーだ理屈をこねて思考を言語化したところで、
実際にたくさん読まれているのは「感情」が爆発している投稿だったりする。
コンテンツというのは、公開した以上ユーザーのものとなる(なってしまう)。
反応も解釈もすべてを委ねなきゃいけないので、私からはノーコメント。
ひとつ言うとするなら、自分の思ったとおりの受け取り方なんて基本されない。
勘違いや誤読、妙な遊ばれ方なんて日常茶飯事だ。
その経験がいまのうちにできたことはある種うれしいが、やっぱり辛いものはある。
仕方がないとはいえ、この感情もまた否定はできない。
結局のところ、わずかに伝わる人に向けて作品というのは作るしかないのだ。
それが例え仮想に過ぎなくとも。過去の自分……とかね。
今日はここまで。

